花田アナは言う。「NHKのアナウンサーはサッカー選手の移籍みたいなもの。清武選手が海外で活躍しているように、いつかビッククラブに」“みたいな”スピーチで我々県民に別れを告げた。
正直言って僕はアナウンス力なんてわからない。小保方さんのサイトの英語がおかしいと、“できる人”たちはそういうのだが、僕にはその“おかしい英語力”なんかどうでも良くて、読めて理解できればどうってことないように思える人間だ。そういうものを論い、鬼の首をとったように指摘と批判し続ける人間とは、僕は仲良くできない。
僕はアナウンス力なんてわからないし、“アナウンス力わかっています感”なんて出したくない。知らないのだから。マリエッティーがカミエッティーになったとしても、ベース音として僕は捉える。「マリエッティー今日はベース音強くて別の曲に聞こえちゃうね。でも僕は君の言っていることが理解できるよ」なんて平気で言ってあげる。
そんな僕でも、花田アナは安定していると思う。サッカーの実況なんて「J SPORT」と松木さん以外、地上波は音声を切っているけれど、僕は花田アナの実況は好きだ。地方クラブに愛がなくなれば、感情がない恋愛のようなものだ。その愛なしで地方クラブは語れないものであり、その愛がある実況、そしてグルーヴ感ある実況をしていたのが花田アナだった。
古館さんはやりたい番組ができないことを降板理由としてあげた。すべての人を満足させることはできないけれど、わかりやすい言葉でネクタイなんか外す個性的な番組をしたかったようだ。
個性という点から見ても、花田アナは面白い。萌生ちゃんこと副島アナのブログタイトル名を考案したのも花田アナ。あれは嫉妬するレベルのセンスだった。附箋の字が小さいのも個性だし、前任の池野アナイズムを受け継ぎ突然歌い出して「顔に似合わずそんなこともできるんだ」と視聴者を驚かせもした。その個性は、県民が反感を生むこともあったはず。でもその反面、僕みたいな危篤的モラトリアムな人間にはそれが面白く映る。
「NHKアナウンサーの異動はサッカーの移籍のようなもの」。
僕はこのたとえがとても好き。ビッククラブに行くきっかけは、出会えてよかった監督になるだろう。その監督というのは局長ではなく、視聴者が監督と置き換えられると僕は思う。そのきっかけが大分の監督だとしたら、大分大好きな僕としては、これほど嬉しいことはない。
その反面、ビッククラグにいけば、戦術的な縛りを与える監督に数多く出会い、“こうでなければならない”に直面するだろう。大分のような育成クラブの自由さがない窮屈な世界でプレーすることを強いられる。そのときに花田アナが大分で見せたようなプレーができていたらと期待しておく。
「物語を始めた人物が、物語を終えるべきだ」なんて言う監督も僕は知っている。「花田アナがビッククラブへ移籍する物語」を待ち望む大分の監督もたくさんいるはず。さて物語は始まったばかりだ。
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