大分大学でアカハラを受けた学生が自殺 大分最高学府の卑劣さとその常態化の可能性を問う

「ゼミを担当していた講師が」という表現に悪意を感じる。ポスト准教授であり、大分大学の“なんとかしてニュアンスを緩めたい思惑”、すなわち責任を取りたくないようにみえる報道だ。大分県教委汚職事件の真相究明ができない大分らしいニュアンスであり、「あやふやにしたい県おおいた」の根の深さを感じる。大分大学は過去にもアカデミックハラスメント騒動を起こしたことがある。常態化していることを勘繰るのは何も荒唐無稽な感性ではないだろう。その大分大学の人間性を否定する常態化について、大分論壇としてひとつ気になることがある。

こんなことがあって1年経過した。人権派として乏しい人権意識を持っている大分の知性、もしくは人権や差別を用いらないと自分を表現できない悲しい大分の知性は、大分大学のIPアドレスを隠蔽してまで、卑近な思想やブログタイトル名の変更、差別主義者と人格攻撃を行ってきた。こういうことをするのが得意な大学のように見えて、今でも本当に信じられない知性だと感じている。

男子学生の自殺に対して因果関係がわかっていないと言われているが、ご家族によると自殺の直前に元講師との関係に悩んでいることを打ち明け、遺書にも残しているという。仮に男子学生自殺の因果関係があったとするなら、過去のアカハラから何も学ばず、ひとりの学生の将来を奪ったことになる。

重要なことは以前問題が起きていたことがまた起きたことである。今度は命を奪った可能性まで出てきた。学ばないというのは、なにも大分大学の体質ではなく大分の体質でもあるのだ。大分県教委汚職事件はいまだに真相究明がされていない。そして舞台にもなった大学だ。大分自体が「学ばない大分で良い」と許していることに、もっと危機感を持たなければならない。一番危機感を持たないといけない大分の知性のひとつがこのような姿勢であることに、大分県民はもっと嘆かなければならない。

大分大学は新しい学部も新設され、大分の知の拠点と呼ばれるようになった。大分合同新聞の連載「変わる大分大学」で、学長や学部長はかっこいいことばかり並べていた。「社会的な豊かさを考える」、「コミュニケーションに資質がある子に来てもらいたい」「目が輝いている学生を育てたい」。すべて空虚な理想だった。教える側が真逆のことをしている。変わる大分大学とは何が変わったのだろうか?人間性を否定して自殺に追い込むまでになったのが、変わった大分大学ではないはずだ。

自分が気に入らない人間に対して、自宅ですれば良いのに大分大学からアクセスし、メッセージを送るときは偽装。差別主義者と認定など人格攻撃をして、しかもIPアドレスを隠蔽するまで徹底した卑劣さ。こんな卑劣な人間はどこにでもおり、大分最高学府のなかの1人と思っていたが、まさか2人もいることがわかった。起こるべくして起きた大分大学の卑劣で陰湿な事件だと個人的には感じている。

すべての学生に何の罪もない。すべての学生がなんらかの希望をもって、勝ち抜いて通っている大学である。その学生の命を奪う行為になった可能性について、決して大分県民は忘れてはいけない。知の拠点であるはずが、恥の拠点になっている。しかもその原因を作っているのが学生を養成する人間だったことが、大きな大きな問題だ。

大分言論
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