いつ髪型を変えたのか?それとも髪を切ったのか?僕にはちょっと曖昧な事柄なのだが、NHK大分の堀愛美キャスターの髪型が変わっていて、とってもかわいかった。夏休み後に会った同級生の髪形が変わっていた時くらい感激してしまった。まなみんは髪をお胸の前に出していたような気がする。どうして背中に流さないで、お胸の前に出すのかで僕は1時間ほど会話ができる人間だ。
僕という人物は女性によって生まれ、女性によって構成され、女性によって終わりを告げられる(理想)存在なのだが、その僕という存在を構成した、いや骨格となったともいえよう8歳年上のお姉ちゃんに最近会ったので少し聞いてみた。「ねえどうして髪を前に出すの?」という答えは、「考えたこともなかった」であった。
歩いている人が胸の前に髪があると邪魔になるようで、その場合は背中に流す。ただまなみんの場合は椅子に座ってキャスター業をしているので、邪魔になることは少ない。お姉ちゃんはいう。「女の子は綺麗なものが好きで、それを見てもらいたい時があることを知っているでしょ?」。そういえば歩いている人の髪は背中にあることが多いように見える。女性は綺麗な髪をみてもらいたい気持ちが前提にあって、歩くときと静止したときを使い分けているのかもしれない。そうみると女子の意図とは、深いものがあることがわかるだろう。
NHK大分しんけんワイドおおいたのふたりって両極端である。たとえばちょっとしたミスがあった場合、マリエッティーこと佐藤まり絵キャスターはあたふたとすることがあった。最近それがなくなってしまって、あたふたマリエッティーが見られなくなり、ちょっぴり残念である。まなみんはというと、動揺を感じられない。淡々と処理をしているように見える。内心バクバクなのかもしれないけれど、それが表に出にくいようだ。
キャスター論として毅然としていることが大切なのかもしれないが、僕としては伝えるべき要点さえわかれば、自分の中で変換する。大分合同新聞のようにニュースの骨子を曖昧にする大分マスメディアがあることで、随分とそれがスムーズにできるようになった。だから聞きにくい、聞き辛いといった概念が僕には存在しないから、大分すべてのアナウンサーやキャスターを愛せる。
キャスターの魅力を感じることに重点を置いているので、ミスが多いことに僕はどうでも良いと感じるし、それこそ君なんだよって言ってあげたい。僕の考えはマイノリティーであるので支持されないだろうが、鬼の首を取ったようにミスを指摘する人とは楽しめない。僕はニュースと一緒に違う角度から彼女たちを見たい。
テレビを通してみる彼女らはある一定の定められた角度しか見ることはできないが、もっといろんな角度から見ていく楽しみってあると思うのだ。まなみんの素敵な黒髪からでも、マリエッティーのあたふたから成長を見せる修復力などから、彼女らを描くことはできるはずなんだ。
キャスターのミスや動揺や表情が全身に巡り、「まなみんの髪形が変わったよ」だけで、ここまで話を広げることを僕はやめない。しばらくこんなことは離れていたからこそ、やっぱり大分キャスターって素敵だということに気付ける。
コメント