人権週間が終わってしまう。
スギ・ヒノキの生産量の増強と県産材の取引拡大を図って、大分県が林業の成長産業化を目指すことがわかった。高性能機械の導入と林業専用道の整備などで伐採や育林に掛かる経費を抑えて生産効率を高めるようだ。
記憶力が良い方であれば覚えている方もいるだろう。林野庁から出向している課長が書いたブログが、公務員の守秘義務に反する行為であると、大分合同新聞等のマスメディアからバッシングにあった。 県幹部は、県が国へ行った提言に「とんちんかん」、大分県議会を「不毛感がつきまとう」と発言。
しかしこの幹部は業務外にブログを書いていた。森林の下草狩り(これ育林でとっても大切なことみたいです)をするロボットの開発事業のために組んだ予算がすんなりと通ってしまったことに対して、喜びのあまり「バクチ的な予算がすんなり通ってしまったのが意外感あり」と発言。この「バクチ的な予算」が権力の監視機関の怒りを買ってしまった。本質を語らず不毛なことばかり指摘する権力の監視機関は、これが許せなかったようだ。
林業について詳しくないのだが、林野庁から出向してきた課長のロボット開発事業が、生産効率化を実現したようにみえるのだが、もしかしたら僕の勘違いかもしれない。仮にこの推測が合っていれば、この課長は仕事をして、ちょっとしたブログの発言で言葉狩りにあってしまった。これにより守秘義務や出張費の公私混同を疑われることとなった。その懐疑に対する証明が、大分合同新聞等のマスメディアからされたのかどうかはわかっていない。
この課長さん率いるプロジェクトチームの結果が大分県の林業を成長産業にできるようになったと仮定して話を進める。ではこの不毛な指摘から、誰がこの課長さんの名誉を守るのだろうかという話になる。
ちょっとしたブログの発言くらいで叩くのが権力の監視機関の役割であろうか?公務員も人間である。正当な評価を県民からしてもらいたいはずだ。それなのにちょっとした気に入らない発言を見つけられて叩かれてしまっては、彼らのやる気を挫くことにもなるだろう。
そもそも公務員の業務外であるちょっとした愚痴や日記、旅の思い出のようなもので、「守秘義務違反や出張費の公私混同」と正しい検証もせずに憶測で語るのが正義だろうか?彼らに繋がるブログやSNSを見つけて監視し、ちょっとした発言を許せない大分で、僕たちの街の優しく厳しく、そして豊かな進歩があるのだろうか?そこに大分愛があるのだろうか?公務員の広瀬知事や県議会に対する愚痴くらい許せる「寛大県おおいた」の方が僕は好きだ。なにが「おんせん県おおいた」だ。まったく温かくない。
早急に大分合同新聞等のマスメディアは課長さんの名誉を回復してほしいと願うが、きっと無理だろう。彼らは人の顔やイデオロギーを見極めながら、バッシングを行う傾向が強い。そんなに権力の監視機関として言葉狩りをしたいのであれば、大分大学のIPアドレス隠蔽者などどうだろうか?イデオロギーの違いによって人権意識がブレまくる。権力に向けた最終的な対抗軸となる知性をしっかりとさせないといけない。そんな大分の知性では、巨大な権力に立ち向かえないだろう。大分最高学府が保守に言論封殺をする大分を叩きのめしてほしい。
課長さんのような不毛な指摘で名誉を回復できていない人がたくさんいるのではないか?大分合同新聞とマスメディアは、ちょっと考えてほしいと願う。この課長さんの名誉という点において、最後の最後で人権に結び付けることができるニュースを、人権週間が終わる直前に提供した大分合同新聞にお礼を言いたい。もちろんアイロニーだ。
亡き王女のためのパヴァーヌというクラシックがある。「不毛なバッシングを受けて正当な評価を県民からもらえない公務員のためのパヴァーヌ」として、冬のボーナスを受け取る県幹部と大分県すべての公務員に捧げる。
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