大分死ねなんて思わない。むしろ問題を解決しながら生き続ける。大分らしさを語るのが大分愛だ。では大分のトップは、どんな大分愛を持っているのだろうか?それを推し量れる発言を広瀬知事がした。
広瀬知事は温泉マークの併用を認めるとした。「あくまでもお客さん第一として、観光客が納得できるマークにすることが大切で、こうあるべきにとらわれるべきではない」とのこと。
おもてなしの心としてもっともな意見であるが、ここに大分愛があるのかというと、まったく別の話になる。大分県がどんな街でありたいというビジョンが、広瀬知事からは見られない。確かに観光客をおもてなしすることは大切だ。だが観光客が来たいと思える唯一無二のオリジナリティーな県にすることも重要である。そのビジョンなしに観光立県として、おんせん県おおいたの未来は語れない。
たかがマークであるが、歴史は深いようだ。NHK大分、大分合同新聞の東西南北にも書いていたが、別府観光の父とも言われる油屋熊八が全国に売り込んだマークである。おんせん県を全国に売り込む大分のトップは広瀬知事。強いて言うならおんせん県おおいたの父である。その人物がマークと一緒に新しいマークも認めるといった発言として見ると、そこに油屋イズムは見当たらない。むしろ経済産業省が影を潜めているような気さえする。
プライドとして見てみよう。うどん県はうどんを棄てるだろうか?彼らは水不足になってもうどんを欲する。そんなプライドがおんせん県おおいたにあるのかというと、トップにはない。もしあるならばマークは、何があっても死守するべき存在である。
要するに今回の広瀬知事発言は、おんせん県おおいたとしてのプライドを放棄したともとれる発言であるのだ。
湯~園地で有名になった別府と長野市長も現行のマークを支持している。温泉とともに生きる市としてその覚悟を決めた。しかしおんせん県おおいたのトップは、並行使用も認めるとした。おんせん県のトップが覚悟を決めることができないなんて、本当にがっかりである。
ここで広瀬知事が「マークが変わるようなことがあれば、国と争うことになる」とでも発言していれば、ひとつセンセーショナルを生むことができた。シンフロ部がちょっと有名になったが、なかなか評判が良かったようだ。ここは畳み掛けるように「大分が温泉愛を魅せる」チャンスであったのに、それを見逃したことになる。
良いものを作ったクリエーターと知事の発言がまったく嚙み合っていない。こういうところが大分の弱さである。県民・企業・行政の一体感が見られず、足を引っ張るのはいつも県だ。もしくは「お世話になった経済産業省にはやっぱり逆らえないんだね、知事」なんて言うのは、本質は語れない重箱の隅をつつくのが趣味の大分合同新聞さんの仕事だが、変に勘繰ってしまう。
いっそのことおんせん県おおいたではなく、県にしていれば観光立県として存続の危機になることから、広瀬知事も並行使用なんて言えなかったはず。
まさかおんせん県おおいたのラスボスが広瀬知事だったとは・・・。おんせん県おおいたのユダは広瀬知事。おんせん県おおいたとしてのプライドが大分のトップから感じられないほど、悲しいものはない。反省してほしいので、湯~園地でバスタオル姿で牛乳瓶を持つかわいい知事を見せてほしい。
今回の件でめちゃくちゃ怒った長野市長(想定)と反省した広瀬知事が、湯~園地で互いに腰巻バスタオルでコーヒーカップに回されながら歴史的和解したら、今回のことは湯に流す。広瀬知事は、温泉にでも入ってもっと大分に熱くなってほしい。
恒例の0時更新失敗しました。ごめんなさい。
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