8日の共謀罪に関する大分合同新聞の東西南北がとても気持ち悪い

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国会では共謀罪の審議が衆院で始まりましたが、権力の監視機関として“鋭利な感性”で大分合同新聞が書いた8日の東西南北を見て絶句してしまいました。その前日のミャンマーに憲法改正を求める内政干渉甚だしい論説にもびっくりしましたが、今回はもっとびっくりしました。

警察に事情を聴かれただけで「あなたは立派な犯罪者になっている」と断言しています。これは大分県民に対する良心への挑戦です。ここまで気持ち悪い思想統制しないと政権批判ができなくなっている酷いマスメディアとして、春の新聞週間を一緒に考えてほしいと願います。

世間が普通の人を立派な犯罪者にするのは空虚な暴論であり、ただの人権侵害である

警察に縁のない普通の人が内心の自由を侵されるシチュエーションを、大分合同新聞に聞いてみたい。これは捜査機関に対する侮辱でもあります。

僕は共謀罪同様に必要だと思いますが、なぜストーカー規制法を内心の自由の侵害だと彼らは発言しないのでしょうか?捜査対象になるというのはそれだけの言動が伴っているからであり、そこで捜査が始まり、犯罪を予防するからこそ、これらのストーカー規制法も意味があるものです。実際機能していませんが。

ベトナム人の女児殺害に関して2chであったとても気持ち悪い書き込みも、あなた方の解釈であれば内心の自由のはずですが、マスメディアから容疑者扱いされています。これだけの言動が伴っている時点で普通の人と判断できずに重要参考人になってしまうのは、マスメディアが証明しています。共謀罪でそのロジックがなぜ適用されないのでしょうか?普通の人と判断できる基準、捜査機関が判定する基準を求めた方が建設的な議論のはずでしょう。

要するに普通の人が容疑をかけられる、気に入らないから容疑をかけるというのは警察に対する侮辱です。確かに別府県警によるカメラ設置事件は問題点がありますが、善悪二元論で語れるほど捜査手法も甘くもありません。人権侵害へのゼロリスクを求めることで県民の命と財産と倫理を守ることもできないのも事実です。ゼロリスクは理想であるべきですが、もう少し謙虚に現実を見つめないと、守れるものも守れなくなります。

また忘れてはいけないことも。実際、罪のない普通の人を犯罪者としてあらゆる人権侵害をしてきたのは、マスメディアであったことも多い。それを無視して捜査機関だけが「犯罪者に仕立て上げる」なんて、聞捨てならない都合の良い暴論です。

大分合同新聞の共謀罪に対するコラムは県民の良心への挑戦だ

実際大分合同新聞が懸念しているようなことになれば、「立派な犯罪者になっている」状況は免れないかもしれません。しかしそんな大分であってはいけないのであって、それを許さない大分にしなければなりません。先入観だけで人を「立派な犯罪者」にしてはいけないはず。警察で事情を聴かれただけで犯罪者になる大分であった時点で内心の自由は崩壊しており、普通の人を「立派な犯罪者」と世間が根拠もなく認定した時点で、人権侵害をしている事実が成立しています。捜査機関以前に国民がこんな解釈を持っている時点で負けているのです。こんな大分にしないのもマスメディアの役割。しかしどうでしょうか?まったく真逆のことをしている大分合同新聞。「普通の人が警察に事情を聴かれただけで立派な犯罪者になっている」と発言している時点で、自ら県民の内心の自由を侵していることになっています。

あくまでも犯罪者になるのは捜査機関や司法の判断であり、僕らやマスメディアであってはいけないこと。この大原則を無視して共謀罪の反対をしているなんて、まったくもっておかしい。だからこそその基準を捜査機関や政府に求めるべきなのに、論点にするべき点がずれて印象操作で世論コントロール。彼らの本質は反対ありきであり、国民への恩恵など県民に考えさせようとする気などまったくないから、こんな人権侵害甚だしいロジックが出てくると言えます。

これは大分県民の良心に対する挑戦であり、同時に内心の自由を考える機会です。「警察に事情を聴かれるだけで犯罪者
」認定なんて、「教育に新聞を」から出てくるコラムとして信じられません。重大な県民に対する冒涜であり、人権侵害であり、良心への挑戦です。

テロ等準備罪が正しいがあの安保法制から何も学んでいない大分合同新聞

安保法制の際、戦争法で世論操作しましたが、大失敗した教訓から何も学んでいないのが大分合同新聞。共謀罪は野党の標榜であり、国民生活としてあるべき姿はテロ等準備罪のはず。なぜ「立派な犯罪者になる」といった印象操作から入るのか?いい加減政権打倒のために政局を作ろうとするのやめませんか?大分市議会選の投票率が過去最低となりましたが、それに対し「主権者教育が必要」と市民に意気揚々に語る大分合同新聞。主権者教育が必要なのは、あなたたちの方ですよ。あなたたちが実のある議論を弊害しているのです。

素朴な疑問!大分論壇の内心の自由を守れない人たちが国民を守れるの?

こんなことがありました。単純な問題「誰の内心の自由を守りたいの?」と、僕は思うのですよ。内心・思想そして表現の自由に、もっとも寛容でなければならない学府が、間違った解釈で育てた嫌悪のために、発言を抑制する簡単な手段になる人権で言論封殺を試みたなんて、こんなことあっていいんですか? こんな大分の言論界であっていいんですか?

誰の内心の自由を守ろうとしているのか?さっぱり理解できない。気に入らない思想は叩きのめす例として、本質から逸れた森友学園問題もそのひとつです。自分たちが守りたい内心の自由は「機能しない政権の監視機関」でしょうが、対極する思想は彼らが持つその鋭利な感性が一切働かない。そんな人たちが、誰の内心の自由を守ろうとしているのでしょうか?

大分大学の人権派のように表現・思想・内心の自由といった人権侵害コンプリートをしたくないですが、もっと切り口は他にあったはず。「そう、あなたは立派な犯罪者になっている」で結ぶなんて、思考停止させて思想統制させ、世論操作させるための言論です。“公正”と自ら謳う大分マスメディア筆頭からこんな発言が平然として出てくることに、がっかりしています。

このコラムの問題点は「一緒に考えよう」という観点がまったくなく、誘導させるための言論です。「教育に新聞を」、「春の新聞週間」が紙面に踊る新聞社が書くコラムとしての適合性。こんな新聞社から「主権者教育の必要性」を問われる大分県民ってどうなのでしょうか?あまりにも県民を愚弄しているコラムです。特に県民に対する良心への愚弄は許せません。大分県民は普通の人が警察に聴取されたくらいで「犯罪者に仕立て上げてしまう」ほど、あなたたちみたいな未熟な理性を持っていません。

大分県民に対する良心への挑戦、そして重大な人権侵害であることを指摘します。

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