大分県教委汚職事件で発覚した不正採用問題で、採用取り消し処分となった男性が処分撤回を求めていた控訴審は一審に続き敗訴しました。
当時の大分大学の教授から望んでいない加点をされ不正採用となり、取り消し処分を受けました。一方県は「加点していなかった段階で合格水準に達していない」と主張。能力実証主義という公益性に欠け、処分は妥当としています。
仮に大分県教委汚職事件がなかった大分があるとしましょう。本来であれば、こんな不正採用なんてなかった。そこで不合格であれば多くの方が納得できるでしょう。「次がんばろう」と決意を新たにし普通の生活を過ごすはずです。しかし自分がまったく関与していない不正の試験に合格し採用された。それで不正が発覚し取り消されたのであれば、受け入れるのは難しい。そもそもなんら落ち度がないのに、「実は不合格だった」ことまで喧伝されています。
「合格水準に達していない。だけど不正な加点によって合格になったのだから、処分を取り消ししてほしい」という主張に違和感を持つ方もいるでしょう。県や司法の判断が妥当と。しかし大切なことをひとつ忘れてはいけません。大分県はその不正の加点について、なんら説明もせずまったく無視をしています。大分県教委汚職事件に対しても真相究明さえする気がありません。原告側も真相究明を望んで裁判で戦っています。
森友・加計学園問題で忖度が注目されていますが、いわばこの事件も忖度です。当時の大分大学教授のよくわからない忖度によって加点がされ、なんら落ち度がない男性が不利益を被ることになりました。当時「実は関与していたんだろ?」といった根拠のない噂も立てられ、「実は不合格だった」ということまで喧伝されるようになった。この不利益は大分県教委がまともな組織で不正採用さえなければ防げたことです。まったく筋を通すことなく慰謝料の支払いを拒み控訴、そして上告まで県は検討しています。
森友・加計学園問題の忖度で安倍政権を糾弾する大分合同新聞も、大分県教委汚職事件をめぐる不正作用に関わっていました。既得権益によって親族を合格させたのです。ジャーナリズムを自害に追い込んだ経験があるのに、大分県教委汚職事件に対する真相究明の機運すら高める気もありません。そんな人たちが現政権へ向けられる忖度、既得権益を批判しているのです。
大分県教委がまともな組織であればと述べましたが、大分そのものがまともな組織であれば、大分県教委汚職事件をこのままの状態にできるわけがない。許すはずがないのです。それなのに、県知事選、県議会選でも、まったく話題すらあがらないでやり過ごしてきました。県民の生活をよりよくするために存在する為政者と権力の監視機関であるマスメディアが、共通の利益のために結託し隠蔽し続けているとみることもできます。
被害者である男性に対し、司法は厳しい判決を出しているなか、真相究明という筋を通すことすらできない大分県。それを「けしからん」と自らも不正採用に関わって既得権益で甘い蜜を吸っていた大分合同新聞が県を批判している。元教え子の生活が破たんしたのにだんまりな大分大学元教授。そんな構図となっています。
「なぜ加点されたのか?」。原告が知りたがっていることについて徹底した真相究明という筋を通すのが大分県であり、その機運を県民に高めるのが大分合同新聞のはずですが、まったく機能していない大分。本当に酷過ぎる事件であることを、もう一度大分県民は自覚しなければいけません。
この事件の関与は、県や大分合同新聞、大分大学だけではありません。警察に押収されたはずの不正採用に関わった人物名が記載されている口利きリストの所在が明らかになっていません。大分県警も関与した疑惑があります。そうなれば県議会議員も疑われる存在です。もうこれだけで闇の深さがわかるはず。
大分県教委汚職事件こそ未解決事件として大分県民の記憶に留めておくべきです。
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