大分大学による剥き出しの人権侵害に屈しない オープンカレッジin大分の学内開催を断固反対する

来年1月にオープンカレッジin大分がありますが、大分大学での開催を断固反対します。

どうしても受け入れられない。県民の知や興味を養うことに否定的ではありませんが、人権侵害の聖地ともいえる大分大学で行うことに拒絶反応を起こします。いまから場所を見つけるのは難しいかもしれませんが、他の場所で行ってほしい。ただそれだけです。

苦しい時に叫ぶことができる大分にしなければ被害者は増えるばかりです。

どうして保守イデオロギーばかり人権侵害を受けて、それが公益性を損なうと認められないのでしょうか?どこまで保守は、リベラルによる人権侵害に寛容になり続けなければならないのでしょうか?

僕は大分大学とオープンカレッジin大分に問い続けます。

気に入らない発言を見つけて、自分のみっともない裁量によって差別と認定したのが大分大学IPアドレス隠蔽事件です。僕にまったく非がないとは言いませんが、まったく人権が出てくるような問題ではありませんでした。差別の臭いなど感じさせないものに一属的な批判分子を帯びさせたのは、紛れもない特殊な裁量を持つ大分大学の人権派です。

ちょっと思うのですが「おっぱいが好き」が女性蔑視の用語でしょうか?根が深いのが、女性の権利向上を目的としたフェミニストを偽装して批判をしたこと。どこから来たのかよくわからない保守への批判が出てきて、「卑近な思想だから政治を語ってほしくない」という主張のもと、ブログタイトル名の「論壇」を取り除いてほしいと強要を受けました。フェミニストを偽装し、人権を活用して自分の意見を正当化した卑劣な行為が、大分大学IPアドレス隠蔽事件でもあります。

リベラルの裁量であれば確実に表現・思想・言論の自由を侵害した人権侵害になるはず。

参政権は18歳以上で問題を起こしていない人であれば誰にでも与えられている権利。たとえ卑近な思想であったとしても、政治的発言をしても構いません。なぜ卑近な思想を持つ者が政治的発言をしてはいけないのでしょうか?この時点で大分大学の人権派が差別をしていることは明確です。

18・19歳の投票率が低くなった要因の一つとして、「自分の意見を述べればバカにされる」というものがありました。それを公然と認めているのも、大分大学の人権派。これが正しいのでしょうか?市民権の侵害を、知性が平然として行っています。

僕は真面目に大分大学の知と対話をしたい。しかし大分大学のIPアドレスから400を超え、500以上のアクセスがある大分大学IPアドレス隠蔽事件なのに、一向にこの大学からの発言がない。学生は仕方がないです。これから学ぶのですから。しかしその500以上のアクセスがすべて学生になるなんて考えられる現象でしょうか?明らかに人権侵害を行った大学であるのに、知を身に着けている教職員等がそれを無視できる感覚が僕にはわからないのです。

大分大学は「誰でも住みやすい大分」などといって、新学部設立を正当化していました。しかし僕は排除されようとしているのですから、夢物語の大分になっているのはもう明らかです。これは大分の知性による排除の論理です。大分大学人権派のような言動が知性の場から平気で出てくることが問題なのです。大分大学のIPアドレスを隠蔽する意味を考えてください。人権侵害をするつもりだった意図は明確でした。

誰でも住みやすい大分は、大分県民である僕だけには適用されないのでしょうか?

人権侵害の被害を受けた人が保守であれば、無視する大分が正しいのでしょうか?

保守はどこまで人権侵害に対して我慢を強いられるのでしょうか?

なぜリベラルは都合が悪い人権侵害を無視するのでしょうか?

人権はどんな思想にも平等に存在しないのでしょうか?

大分大学は自主的に答えるべきです。思想に対して寛容になることができず、自分以外の意見を認めることができない学府で、IPアドレスを隠蔽してまで人権侵害をする。そこで知を養うなんて、これほど酷いことはありません。

人権侵害を無視した学府で行われる補完する知の相性は、最悪だと主張します。

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