障害者ツアーっていうのが、個人的にもう、なんか、嫌です。
障害がある人もない人も心豊かに暮らせる大分県づくり条例。分け隔たりなく相互に人格と個性を認め合う社会づくり。
だからこそ今回の国民文化祭2018おおいた・おおいた大茶会の「全国障害者芸術・文化祭」の名称を県が独断で取っ払うくらいの心意気があっても良かったと思うのです。挑戦的なことに取り組まず、なんとなく体裁を整えようとして失敗するのが大分県でもあります。
国民文化祭2018に合わせた障害者有料ツアー中止相次ぐ
憲法違反状態で行われているのが国民文化祭2018・おおいた大茶会です。これは「心豊か県条例」にも違反しているスタンスを僕は譲りません。
基本的人権の根幹である表現等の自由が誰にでもあることを文化庁は保障せず、人権擁護課は「憲法違反なら国を訴えて」と開き直る文化祭なのですから。国民ではなく、特需の人たちの文化祭と割り切っても良いと感じます。
この特需文化祭は、こんなところにも不備を露呈することになりました。国民文化祭に合わせて企画された障害者ツアーが相次いで中止になっていることをNHK大分が伝えています。
キャンセル料なども問題でしょうが、需要と供給のバランスがとれていないことに驚いています。マーケティングとして最低限の戦略すら怠った。そして企画に障害者団体が関わっているのに、人が集まらないことが理解できません。
大分県の根回し不足と既得権益問題
国東半島芸術祭で物議を醸すことになったゴームリー像。芸術だから良いといった声で押し切りました。その場で修行をしていた僧侶たちの意見がまったく尊重されなかったことが表にならない異常事態をつくった県でもあります。
このときも根回し不足の指摘を県は受けています。議論が起こるのは良いことです。街のありかたを問えるのですから。しかし対極を尊重しないのは議論とは呼びません。根回しをしなかったのが問題なのです。
最近は大々的に六郷満山をPRをしていることで関係修復を図っていますが、また突拍子もない企画を押し付けられるのではないかと県への不信感を拭いきれていない僧侶もいます。
企画の障害について想定すらせず、特需で押し切るのはあの頃から変わっていません。
今回のツアー、たとえば無料であったらどうだったのか?
しかしきっとここで大きな問題が発生すると考えます。無料にする勇気が県にない。特需文化祭ですからそんなことはできません。既得権益者によるウィンウィンの関係にしか県は興味がない。障害者団体が企画関与しているのに、「参加者不足で中止の謎」の答えはここにあるのかもしれません。
既得権益者が寄り添う関係。この関係を作るのが県は上手い。それは大分県教委汚職事件から変わっていません。そしておおいたジオパーク汚職事件と引き継がれていきました。綺麗事ではありません。大分の実課題です。
集まらない企画自体が障害者に寄り添っていない証明となる
視覚・聴覚障害者でも楽しめる企画を練っている落合陽一さんに助言をもらうべき案件だと考えます。今回のツアーは落合さんに通じる企画でもあり、方向性は間違っていない。しかし根本的なエラーが発生している。だからこそ落合さんに助言をもらうべきです。
誰が主役なのか?集まらないのは何が問題だったのか?そもそも問題の内容が理解できていないのではないか?
わからないことを大切にせず、見切り発車で企画立案したとしたら県が障害者にまったく寄り添っていないことの証明です。実課題を集約する努力を県がしないことで生まれた失敗であるのかどうか。ここははっきりとさせておくべきでしょう。
障害者団体が企画に関わっていたのに「内容やPR不足を再検討」なんて、県から言い訳が出てくることを許す大分がとてつもなく歯がゆい。権力の監視機関である大分マスメディア、二元代表制の大分県議会はいい加減仕事してください。
主役が集まらない企画が大問題だという認識が県にあるのかどうか?反省の意味を込めて、ツアーをすべて無料にしてみるのはどうでしょうか?
特需をなるたけ取っ払う。寄り添うことは、有料ではなかなか見えてこないものです。
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