なしかおいさん吉田寛さん亡くなる

僕は中学生でした。

10歳以上歳が離れている姉がひとつ上の姉と僕が揃っている土曜日に、よく西大分港や佐賀関に連れて行ってくれました。行く時または帰り道のドライブBGMがOBSラジオ夕方なしかです。

土曜日の夕方4時を過ぎたらカーステレオは必然的にOBSラジオに、また車内に強制的に連れ込まれるドライブです。

姉は小学生の頃からOBSラジオが好きで、当時はまだスマホやradikoもなく携帯用のラジオやMDとやらが付いたオーディオで聞いていた番組だったようです。

土曜日の夕暮れとうまく結びつく、大切な姉弟の思い出になりました。

おじさんやおばさんたちの「なしか?」が理解できない。少年時代の僕は疑問を疑問で返す用意がありましたが、姉は間違いなくツボっていました。

最近は「とくちゃんどこいっちょたん?」の松井督治元アナが帰ってきましたが、僕にとってなしかおじさんは、吉田寛さんです。

いや、なしかおいさんと呼びましょう。

24日のラジオは松井さん、安心院のサファリ獣医師の神田先生、そして甲斐アナの3人で見送る放送になりましたが、涙も嗚咽もなくただ笑いしかありません。

吉田寛さんが数年後帰ってくるお別れのようでした。

吉田寛さんの矜持を徹底して3人が守る。「この番組に湿っぽさを絶対に持ち込まない」そんな気迫を感じた放送です。

生前の振る舞い方がそうさせたとしか考えられません。そんな人間に僕はなりたい。

大分のコロナ禍を追う大分合同新聞の企画「談論おおいた」にも寄稿されていました。そこに「ユーモア」の文字が存在しています。

登場する県関係者すべて敬語ですが、吉田寛さんのときだけすべて大分弁だったのも印象的です。

こんなおいさんですので、表現の自由への侵害を税金で平然と行う護憲派教育者が野放しとなっている大分県では生きづらさもあったのでしょう。

ネットで悪口を書かれることがあっても「ユーモアで返すようにしよる」とあります。そして「何でん『不謹慎』で片付ける人は相手にせん方がいい」とも。

税金で苦しめられた僕の6年間はなんだったのか?もうちょっとはやく気付かせてほしかったよ、なしかおいさん。

言葉でそしてユーモアで生きてきた方の重みを、いま強く感じます。

ユーモアの定義は「人を傷つけない笑い」なども登場し、変化しています。その黎明期でユーモアを追求してきたのも吉田寛さんです。

残念ながら「夕方なしか」を聞き続けた姉は生粋の天然派で、もうひとりの姉は筋を通さないことを許さない正義女子、その弟はユーモアを迷走しておりますが、こんなことを思うのです。

「なしか?」には、会話を生み人のつながりと発展させる力がある。

魔法の言葉なんて過言ですが、この大分弁は意外性かつ想定外の力を持つのかもしれません。

奇跡的になんとなくうまくまとまったように感じますので、ここで終わりにしときましょう。

言葉を生業としている「なしかおいさん」が夢に出てきて、ユーモアで返されるといけませんので。

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