芸能人がポピュリズムに参加しない。これができる指原莉乃のすごさ。いや怖さとでもいいましょうか。
「#検察庁法改正案に抗議します」がトレンド化したのは芸能人が声をあげたことが大きな要因となり、最終的には見送りの誘因にもなりました。
しかし間違った三権分立画像が出回り、反対派が何度もハッシュタグをつけて水増し、ツイッター社からアカウント停止処分と、ポピュリズムを狙った抗議活動の裏側が伝えられています。
そんななか、大分が生んだアイドル指原莉乃さんは「双方の話を聞いて自分の頭で考えること。偏った意見ばかりでそこまで信念を持てなかった」理由から抗議活動には参加しませんでした。
この姿勢が称賛されていますが、それ以上に大分の奇跡とも言える言動でもあるのです。
大分には公平や公正の概念が存在しない県ですから。
大分における異常な政治発言の抑制
先生に反論すると「右翼になるよ」と言われた経験があります。
当ブログに寄せられた情報では、我が子が先生に政治的に反論すると「ネトウヨになるよと言われた」と報告がありました。
しかも数年後、別の親御さんが同じ情報提供をするのです。同じ中学校と同じ教師の名前が記されていました。
大分合同新聞が主権者教育をしていた時期、特定野党に疑問を持つ生徒さんから戴いた意見には「取り合ってもらえなかった」。
読者の声で政権擁護の声をあげると、無視される不満の声も寄せられています。
ちなみに大分合同新聞は、この疑惑にまったく反応してくれません。女子中高生にスリーサイズを聞いていた問題も逃げ回っています。
さらにすごいのは、護憲派日教組教育者が税金を使って大分大学のIP偽装をし匿名性を高めて「卑近な思想は政治発言をするな」と言論封殺を行う。
憲法を愛する国民主権を喧伝する特定野党支持者が、これを疑うことなく脊髄反射で行った事実があります。
異常な政治発言の抑制が蔓延る大分で、バランス良く自分で考える主権者のあるべき姿を示した指原莉乃さん。
政治発言の抑制を教育界隈が中心となって行う大分から、こんな人物が生まれたのは奇跡と言えるでしょう。
指原莉乃さんから生まれる仮説「大分から出たほうが良い」
中学までしか大分で暮らしていない指原莉乃さん。それでも惜しみなく大分愛を注ぐ「愛県家」です。
いじめもあって数ヶ月学校に行かなかった時期もあるといいますが、先生には恵まれていたようで大分における義務教育課程が子どもの洗脳になると安直に結びつけることはできません。
それにしても政治発言の抑制を受ける事実がある大分で、ここまで主権者としてのお手本が育つのは興味深い点です。
ひとつはっきりしているのは、大分を離れていること。
指原莉乃という人物に深く触れなければ断定できないことですが、教育現場で政治的な抑制を受けるこの県の性質から「大分を離れたほうが自分で考える子が育つ」の仮説が成り立ちます。
こんなあってはならない仮説が生まれる街が大分県でもあるのです。
だからこそ政治発言の抑制を敷く大分教育界隈は「指原莉乃のお手本になる主権者のかたち」を受け入れていただきたい。そして大分県民もこの県に蔓延る政治発言の抑制について、危機感を持たなければいけません。
そうしないと主権者である僕らは、どこにもたどり着けません。
「誰でも発言して良い」が浸透する社会に叛逆する大分
「何も知らないやつが政治的発言をするな」に憤慨する芸能人が増えているようです。
いつの間にか「自分たちへの反論は許さない」体を持つ芸能人も参加し、国民主権や民主主義の観点がおざなりになっているのは懸念材料ですが、ひとつはっきりしているのは誰でも発言して良い。
しかし大分はこんな社会を護憲派が許しません。誰でも発言して良い社会が生まれても、発言を弾圧する素地を持つのも大分県。
発言できる場が生まれても、権力の監視機関や反政権側がそれを封じてしまえば意味がない。中国のような大分にしたいとしか考えられません。
この異常性がまったくこの県で問題にならないこと、特に人権左派や護憲派が無視し続けていることがこの県の異常性を示しています。
正常な主権者としての権利が蔑ろにされていることがこの県の弱さです。
「双方の意見を聞いて自分で考える」正しい主権者の在り方を、異常な政治発言の抑制を敷く大分は改善する時が来たと感じます。
指原莉乃さんから学ぶ大分であってほしいです。
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