恋の話をしよう。
大分さんと名古屋さんがいて、その間にカーデガンがめっちゃ似合ってて、その膨らみにドキっと毎回するめいちゃんっていう子がいる。本命は東京さんな彼女は、なんとなく周囲から言われるがままに大分さんと付き合うようになった。でもなんとなく周囲から言われるように名古屋さんと付き合うようになった。2年間いろいろとあった大分さんとお別れをすることになったのだ。
このようなシチュエーションのときに考えられる、生まれる2つの感情。広義的な意味合いとしてマイナスとプラスの感情にわけられる。マイナスになるとすればこんな風に。
何が「超絶凄ワザ!」だ。口利きの対決でもやってろよ。森友学園VS大分県で、口利きと隠蔽を競い合おうぜ!大分県は、県と関わった組織企業の口利き隠蔽スペシャリスト集団な。そのときはめいちゃん「口利き隠蔽スペシャリストが集う大分は初任地でしたー」なんて言ってくれよな!
なんて、とんでもない悪態をついてしまう人を見掛けたこともあるだろう。そこにめいちゃんはまったく関係なく落ち度もまったくないのだが、失恋は倫理観を崩壊させてしまう。その数日後になんてことを言ってしまったのだろうかと落ち込む失恋人を、慰めた経験がある人もいるだろう。ほんと失恋人のこじらせは面倒だ。僕は幾度も何も言わずに、理不尽な愚痴を聞かされてきた。
プラスであれば、彼女の道を応援する。変なブログに目を付けられ、東京に行けばギュギュっとして、腹から声が出る実況も披露、そして誰も抗うことができない災いと対峙した2年間。それは彼女にとって貴重な経験だったはず。
それと一緒に向き合ってきたのは、まぎれもなく大分さんなのだ。ここに誇りを持つことができる。それは第三者の評価、もしくはめいちゃん自身がそう言ってくれれば具現化される想いになるのだが、たとえ独りよがりでもかまわない。こんな気持ちを持つことで気持ちよく彼女を送り出すことができる。誰もがそうしたい正しい別れとの向き合い方。
どちらにしろこの2つの感情の淵源は、彼女が好きだったからこそ生まれた。失恋人が自身を説得し、納得し、前に進むためのプロセスであり、正当性を求める失恋との決着だ。
まるで「副島萌生」って名前が書かれているようなアナウンスをしていた。変なブログが同僚を恋人のように仕立て上げたときは、お怒りの声を数通いただくなど熱烈なファンも多い。特に東京でギュギュっとしたときは、全国にこんなにファンがいるなんて驚いてしまった。NHK大分の副島萌生アナウンサーは全国区となっていく。自分の彼女が周囲に正しく評価されていることに有頂天になってしまう甘い感覚に似ている。
今思えば不思議な存在だった。「めーいっぱい!」なはずなのに、目一杯さがまったく見えてこない。余裕がある貫録。悪く言えば初々しさがないのだ。大分マスメディアで初鳴きアナをいくらか見てきたけれど、副島萌生アナには初々しさがなかった。それほど落ち着いていた。
伝える仕事として必要なアビリティーとキャパシティーはここにあるのかもしれない。でも「めーいっぱい!」と書くと、なんとなく落ち着くから不思議。欲を言えば慌てて感情的に乱れてしまうめいちゃんも見たかった。その時はたまらなく守りたくなっただろう。
確認しておこう。「めーいっぱい!」って花田アナが付けた。彼も東京に行きたがっている。ということは二人が並ぶ可能性もあることになる。「めーいっぱい!」コンビだ。これはまぎれもなく大分産。金崎、清武、森重、周作と、日本代表で大分カルテットを眺めているような感覚。大分さんにはこの喜びと“宿命”がまだ残されている。
でもね。この現実はどうしても免れることはできない。
副島萌生アナウンサーに大分という文字が消えてしまう。それが当たり前になる日がもう来る。だからしっかりとお別れをしておくべきだ。しんけんワイドおおいたには、「ちょっと聞いちょくれ」があり、もしかしたらめいちゃん最後の出演があるかもしれないのだから。
イメージをしよう。たまらなく守りたくなるような感情的に乱れるめいちゃん。初めて「めーいっぱい!」なめいちゃんが見られる最初で最後の大分。
もし木曜日ウォッチおおいたに登場するようなことがあれば、ここ注目点だと思います。
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