大分大学アカデミックハラスメントに対して大分合同新聞に求めたいこと

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変わる大分大学ということで特集を組んでいた大分合同新聞。また全国紙でよく見かける憲法学者の主張の猿真似に過ぎない、「教育に新聞を」のような新しい感覚を植え付けてくれない大分大学の憲法学者の見解を紙面に飾ることも多い。自分たちの都合の良い解釈の補完をするために、大分大学をよく利用するのが大分合同新聞。

大分県教委汚職事件について調べてみるとわかったのですが、多くの有識者が共通して指摘していたことがあります。県と県教委、そして大分大学、日教組とマスメディアが近すぎることによって、真相解明の機運を失った。不正を許さないマスメディアが本来の機能を自発的に消失した。僕はこの指摘は的を射ていると思います。そして「なぜ大分大学アカデミックハラスメントについて、大分では大きなうねりが生まれないのか?」の答えでもあるでしょう。

電通の社長が引責辞任を発表することになりました。ハラスメントによる自殺は、トップの首が飛ぶことを示した実例となり、これからの組織の責任の取り方として一般化されるかもしれません。これは組織にとって大きな命題となり、ハラスメントの絶滅を予感させる出来事になるでしょう。では大分ではどうでしょうか?すこしばかりの紙面を割きアカデミックハラスメントが認定されたことを伝え、それで終わりになろうとしているのが大分です。

電通の亡くなった女性社員のお母さまはこんなことを言っています。「娘の死によって日本の働き方を変えるとしたら、その24年間の生涯が日本を揺るがしたとしたら、それは娘自身の力かもしれない」。本当は誰かの命が奪われてから変化を生むようでは遅いですが、大分大学学生の死にも、メッセージがあることを大分県民は忘れてはいけません。一人の学生の死によって、本来であれば大きなうねりが生まれてもいいように感じられますが、年末年始を挟んだ今、それが失われようとしています。

政権には厳しいが、どうも大分の権力や学府などには弱腰が目立つのが大分合同新聞。近寄り過ぎてしまい、批判できないマスメディアとなっています。それは大分県教委汚職事件からも窺えます。 記事として伝えるが、一歩踏み込むジャーナリズムを発揮できない状態が続いており、真相解明ができない大分を演出するひとつの要因です。自分たちも関わっていた過去があることで、大分の仲良しこよしで築きあげられた既得権益には、メスを入れられないのが大分合同新聞。それではうねりを生むことができないでしょう。ネットが大きな力を持つようになりましたが、電通の事件を代表するように、大きなうねりを生むにはまだまだマスメディアの力は不可欠です。

電通の社長は社員の過労死自殺をパワハラも否定できないと発言し、引責辞任をしました。大分大学の第3者機関はアカハラを認定しました。なのに当事者以外の誰が処分をされるのでしょうか?なぜ大分マスメディアからその疑問が県民に投げ掛けられず、大学側に圧力さえも掛けられないようになっているのか?

学生の命を奪うだけの大学ではありません。知性に一番と言っていいほど求められる主張といった言論さえも封殺をしようとし、その行為の発覚を恐れてIPアドレスを偽装するまでの陰湿性を持つ大学です。大分最高学府がこの姿勢であれば、大分は危機的な状況であると言わざるを得ません。このことを大分マスメディア、特にジャーナリズムを喧伝する大分合同新聞こそ、関心を持っていただきたい。こんな卑劣なことをする知性を知性として認めてはいけないはずです。

ひとりの若い命が知性を与える場で奪われた。その場所は知性とは程遠い陰湿性を持つ場所になりつつある。この意味がなにを示しているのか?こんな大分最高学府で、大分がより良い街になることができるでしょうか?すべての学生が本来の目的を持って、学ぶ意欲を思う存分発揮できる場所に戻すためにも、あやふやにしてはいけない事件です。

ここに踏み込めなければ、ジャーナリズムとは言えません。大分とは言いませんが、学生の自殺は多いです。その真相を大分から発信できる意義もある。大分合同新聞にこそ、できる仕事です。

大きなうねりを作る気がないのであれば、いっそう大分合同新聞は、ジャーナリズムを捨て既得権益を追求する機関紙にでも方向転換をするべきだと思います。若い学生の死の意味を、大分県民で考えられる機会を作れるのはマスメディアです。言論封殺や人格否定をIPアドレスを偽装するまで尋常とは思えない言動をし学生までも死に追いやる大分大学を、本来の知性の姿に戻すことに大分県共通の利益があることを忘れないでほしい。

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