大分合同新聞も関与していたのにいつの間にか「みんな」に含まれなくなった大分県教委汚職事件
2020年8月2日更新
すごいなーと感じました。
大分合同新聞も大分県教委汚職事件の口利きに関与していたはずですが、裁判に関係がないことをいいことに自社の関与にはまったく触れず、県教委と教員だけの責任とすることに成功。
「みんなで迷惑を掛けたのなら、その責任はみなさんで負いなさい」
いくら大分合同新聞に関係がない民事裁判だとしても、よくもまあ口利きに関与していた新聞社がこんなことを書けるのかと呆れています。
現場の教諭の声がまったく届かない大分合同新聞東西南北
「大分県教委汚職事件を忘れない、教訓になっていない」といった全容解明を望む厳しい声を現場の教諭から拾い、それを掲載しているのが大分合同新聞東西南北。
裁判では関係ないとしても、自社が関与していれば「県と教員」だけの責任にはできないはず。戒めとしてここで触れるのが、真実を追及するマスメディアの役割。
「みんなで迷惑を掛けたのなら、その責任はみなさんで負いなさい」が自分たちには響かない点が恐ろしい。
マスメディアの役割として「機運を高める」ことも報道の使命になりますが、自分たちが関与していた事件に対してはこのような逃げ方をする。
この県において、大分県教委汚職事件の全容解明ができない理由がここにあるとはっきりわかるコラムです。
小学生から老人まで書き写しされている大分の教典・東西南北
大分合同新聞東西南北の書き写しをする「すごい小学生」を紙面で紹介していたことも。
竹田では中学生が教材として活用。
県内市町村でも教育委員会が中心となって大分合同新聞の東西南北を教材として活用している声も現場教員から届くようになりました。
教育現場だけではなく、老人にも認知症予防などから利用されているのも東西南北。
書き写しすることに問題はなく、東西南北自体は優れた教材だと感じます。
それでも今回の人間性を疑うコラムを特に小中といった義務教育期間に書き写しする教材として、教育現場にふさわしいのかどうか?
マスメディアの報道がすべて正しいことを盲目的に信じてしまう大分を、着実に歩んでいるのが大分キッズとなっています。
大分合同新聞東西南北はもはや大分の教典。しかしそれは「人間性を失わせる布教」の教典でもあるのが、今回のコラムではっきりとしました。
なぜ自分たちが関与していた事件を「県と教員だけの責任」にできるのか?
こんなコラムが教育委員会を通じて広まっている現状こそ、教諭の声としてある「教訓になっていない」そのものだと感じる大分県です。
教訓がない大分はこんな政治モンスターを産み出した
たとえば特定野党の吉良州司議員。デリヘル示談事案でサイトやSNSを封鎖して逃亡し、何の釈明もないまま1ヶ月後に何事もなかったように姿を見せる。
対抗する穴見議員の不適切発言には鬼の首を取ったように批判。その穴見議員は謝罪と釈明を行っています。しかし吉良議員はそれができない。
日教組の教育者は大分大学のIPを偽装してまで、憲法で保障されたあらゆる自由を税金で侵害。護憲派がこれを決行できる稚拙で脆弱で知性がない大分の国民主権。
指摘されると逃げ出し、謝罪も釈明もできない。東西南北にある「責任をとりなさい」ができない先生がまだ存在していることになります。
吉良議員の不祥事を報道しなかった大分合同新聞。日教組にはお優しいまるで機関紙のような大分合同新聞。
この新聞社が庇護する政治家や組織は、みんな責任を取らない。
そんな大分を支えている東西南北です。
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