セルジオ豊後論

大分トリニータ好きいわゆる“大分愛”の育成

J3降格から一夜明け、スポルティーバさんやサッカーキングさんといったサッカーメディアが、大分トリニータの敗因として共通して書いていることがあった。スポルティーバは「焦燥感と倦怠感に徒労感」、サッカーキングはそれら疲弊の答えは「大分愛」と説いた。

絶好のチャンスを逃し失点を許したことで、元々運動量が少ない大分トリニータにそれらは追い打ちをかけた。それを乗り越えようとするリーダーシップ、そしてメンタルという大分愛でカバーしようという動きが見られなかったというサッカーメディアが見る入れ替え戦の総括である。要するに自らに負けたという考えもあることになるだろう。

では、今シーズン足りないものは何だったのか?その答えを知る大分マスメディアのひとりとして、NHK大分の花田アナウンサーも面白い存在だ。実況者として冷静に視聴者に伝えなければならない花田アナウンサーは、その違いを知る一人となる。「どんな風に感じましたか?」と質問したとき、その答えによって大分トリニータの今後のあり方を知るヒントになるだろう。

サッカーキングの記事によると、西山強化育成部長は育成型クラブのコンセプトのもとで「アカデミー出身選手を中心に構成し、足りない分は(アカデミーの選手を)2種登録することなどで補いたい」と発言したようだ。ここに可能性を見出すのは当然だろう。

その上で戦う原動力となる“大分愛”というものは何なのか?ということになる。そのコンセプトを見せるのは、もちろん大分FCだ。その大分愛というヴィジョンを明確に大分FCは示し、そしてその方向性を大分県民に提示するのが急務である。

その責務をスムーズに行うために「何が変わったのか?」の回収をするべきだ。いろんな人に話を聞いていくことで、見えてくる大分トリニータの姿があるかもしれない。僕が無視できない存在というのは、トリニータサポをやめてしまった人である。大分愛がアンチ大分に変わった人の意見こそ貴重な存在である。大分愛を育むには、避けられない存在だ。

J3降格した大分トリニータの終わりなき旅

Mr.Childrenという教科書を使って僕は構成された。そのなかでも櫻井先生の「誰の真似もすんな 君は君のままでいい 生きるためのレシピなんてないさ」と言った授業は、最高の思い出であり、僕に“歪さの価値”を植えつけてくれた。

すべてのJカテゴリーを経験する一番最初のクラブとなる大分トリニータ。大変不名誉な記録。J3に降格するそんな大分トリニータに「生きるためのJカテゴリーなんてない」と強がり激励したいけれど、きっといまはそんなことも伝えることができないだろう。

大分のことを一番よく知っている人間として、やるべきことを彼は誰よりも強くそれを理解していた。そして高松は大分のビックチャンスを逃した。直前に痛めた影響もあったのだろう。大分トリニータにとってはビックゲームであり、それに望む大きなプレッシャーとそのチャンス。スタートから出る機会が少なくなった高松にしてみれば、僕らが想像を絶するような緊張感だったはず。あらゆる感情を込めたキックは、無残にも町田GKのビックプレーではじき出されてしまった。

ここの希望は「我らの高松が決めた!ミスタートリニータが大分の危機を救った!」になるだろう。ミラクルゲームとして後世に語られるはずだったが、それさえも見放され、それさえも許してもらえなかった。一番大分を知り、犠牲になろうとした高松でも、大分トリニータの危機を救うことはできなかった。

前半34分で知ってしまった。このゲームの結果と、願うカテゴリーに居られなくなることを予告するようなPK。このPKの本当の意味は、大分トリニータに対するペナルティだった。不甲斐なく、そしてあらゆることに大丈夫という慢心していたツケを払わされたような罰則のように感じた。

もちろん高松のせいでもないし、諦める選手とスタジアムでもなかった。この部分においては大分の誇りであると、僕はこの主張を決して放棄しない。

多くの方が言うように、大分トリニータJ3降格することで“そうなる”かもしれない。でもそれじゃまったくもって面白くない。どん底から這いあがるほうが、愛されるに決まっている。公金問題で大分トリニータの関心が薄れたと言われた県民だが、14000人も入れ替え戦でお客さんが入った。まだ関心を持ってくれている人たちがいる。

終わりなき旅があるとするなら、謙虚に今までの大分トリニータを知ることがスタートになる。徹底した検証と正当なる評価が求められる。きつい検証になり、特に大分トリニータが生活の一部になっている人にとっては耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言が生まれることも予想される。「本当に大分トリニータが好きなんですか?」と言いたくなるだろうが、それでも今求められているのは正しい検証とそれを受け入れる姿勢。

まずは大分県一体となって本気で見つめよう。まずは大分マスメディアがあらゆる方向性から大分トリニータを検証すること。そこから正しく見る県民の目が生まれるはず。なんやかんや言っても地上波、新聞は最強だ。だからこそマスメディアが本気になってほしいし、力になってほしい。そうすれば県民会議が正しく機能するようになる。それは大分トリニータに強さをもたらしてくれるはず。

このクラブをJ3に降格させたのは、大分県民でもあることを僕らは自覚しなければならない。這い上がるためには辛く、そして必要な作業になるが、僕らにはその責任と義務があるだろう。

大分トリニータJ3降格の日となるかもしれない12月6日が持つポテンシャル

素行も知らないような不可思議な対象にお願いすることもあるだろう。その対象として一番考えられるのは神様になる。こんなこと絶対にあるはずないのだが、「お願いします」ということを祈ってしまうことは、誰でも1年に数回はあるだろう。どちらかというと僕はそんなタイプな人間を見て「もうなかなかさっぱりね」というタイプなのだが、もちろん僕にも経験がある。

さっぱりなのだけれども、なかなかどうしてミラクルというものは時々起きちゃう。ミラクルの根源を知ろうとしていた時期があったのだが、僕が行きついた結論というのはただひとつだった。「このままじゃ終われない」という気持ちがそのミラクルを生んだのだ。

大宮と磐田のJ1昇格の一因になり、そしてどれも劇的なゲームを演出した大分トリニータだが、そのミラクルな劇場もその気持ちが生んだゲームだったはず。素行もしらない顔も知らないような存在にお願いすることは、サポーターにはあったかもしれないが、ピッチで戦う選手はそんなものはなかった。大宮や磐田の選手がそれを生んだことになる。

それでも磐田戦は「こんなことが起きてもいいのか」というような試合だった。この部分の結論は多くの方が知っているはず。「このままじゃ終われない」という気持ちを持って、やることをやった人にそのようなミラクルは起きるのだ。祈りの対象は、そんな人に微笑むのだろう。ほんと憎たらしい。

「このままじゃ終われない」という姿を見せることがとても大切だと僕は思う。きっと大分トリニータはそれを見せてくれるはず。「このままじゃ終われない」という先に何があるのかを、僕は大分で見てみたい。

12月6日。大分トリニータ再生がこの日から始まるそのポテンシャルを持つ日であることにも言及しておこう。クラブというのはゲームによって成長する。県民が興奮するゲームをすれば、また見たくなる。また来たくなる。また応援したくなる、はず。大宮と磐田のとんだかませ犬ならぬかませ鳥になったが、3度目はもちろんごめんだ。意地を見せることができれば、なんかいいことがあるかもしれない。

12月6日のゲームは、大分トリニータ再生への語り草となるかもしれない。その可能性を僕らは捨ててはいけない。